美しさとは何か?

同じ動作をするにも動作が綺麗な人と汚い人がいます。

動作が綺麗と言うのはどういうことなんでしょうか?

こんな事について今回は深く考えていきたいと思います。

動作が綺麗な人をきれいだと思うのもなんでそう思えるのか不思議じゃないですか?
同じように動作が汚い父さんが綺麗な人をきれいだと思うのもなんでそう思えるのか不思議じゃないですか?

人のことを動作が汚いと私たちが判断できるのはなんででしょう?
動作のきれい汚いの判断が後天的に私たちに学習されたものなのかそれとも生まれてきた時から人間の機能としてある程度備わっているものなのか?

おそらく両方の要素があるとはおそらく両方の要素があるとは思いますが動作の判断については先天的な要素の方が大きいように思います。
では私たちにそのような機能がもともと備わっているのはなぜでしょう?

次に美しさの感覚について私たちはもう一度確認しておく必要があると思います。

美しさにも種類がありますが、多くの人が共通して美しいと思う状態人動きと言うのはある程度共通項があると考えたほうが自然です。その共通項は私たちの生物学的な機能について判断するために

備わったのだと考えるのが最も自然です。例えば身体的な特徴だったりを考えてみましょう。肌が汚くてしみそばかすいぼなどがたくさんついている状態を見て反射的にそれが汚いものであると言うふうに私たちは思います。

誰かからあれは汚いものだよと教えてもらったと言う事は無いですよね?

なぜ汚いと感じるかと言えば、人間の肌の理想的な状態と言うものがある程度共通してあるからです。
そしてそれは生まれつき私たちの脳の中に組み込まれていると考えるべきです。
その理想的な肌の状態と比べて私たちは誰かの肌の状態を判断しているわけです。

何らかの異常があればそれを避けるように私たちの体は動きます。
肌が汚なければ何らかの病気を持っている可能性が高いと私たちの体は判断してそれに対して嫌悪感を抱きます。当然のことですがそういった羽田の人に触れたいとか近づきたいとは思いませんし、逆になるべく離れたり関わらないようにと言う方向に動くでしょう。

そうすることで私たちの体が溶原菌や感染症に感染することを防ぎより健康な生活を送れるようになっているのです。

もちろん同じ状態の肌を見てもそれをどれぐらい不潔と思うが気になるかといった事は個人差があるのでその厳しさを含めてその人の性質だと言えるでしょう。
このことから言えるのは私たちの美しさの感覚や何かを汚いと思えるような感覚というのは実は私たちの体だったり健康についてを保つための機能だということです。

現代では平等と言う意識や概念がとても普遍的なものとして広まっています。
その中で見た目で人を差別することやハンセン病のように外見的な特徴が出る病気について不当な差別をする事は非常に避けるべきこととして認識されている事はご存知の通りです。

ですがこのように見た目と健康それからそれを判断するための仕組みというものをしっかりと理解していれば、差別というものがそういった理由からも発祥しているのだということがわかってきます。

差別とは単なる無知やムチ単なる無知や差別意識だけでなく私たちを健康に保つための防衛機構から生まれている事が多いのです。

ですからいくら差別をなくすをとしてもなかなかそれは難しいということもこれを証明しています。

差別の問題についてはまた別の機会に詳しくお話しすることとして、本題の動作の美しさについてお話ししましょう。

動作の美しさと言うのも他の美しさと同じように人の身体的な機能の良し悪しを判断するための感覚だと言うことができます。

人の動作は様々な人の内面や状態を映し出します。それと同時に物理学的に動きが効率的であるかや体のエネルギーを無駄に使っていないかなども動きから判断することが可能です。

そういった総合的な動きの効率性のようなものを直感的に判断するのが動きの美しさだと言うわけです。

 

例えば食事の際の動きについて考えてみます。

よく言われることとして食事の際に茶碗を自分の口に近づける人と茶碗に自分の口を近づけてものを食べる人がいると言われます。茶碗を自分の口に運んで食べる人は上品な食べ方、茶碗に自分の口を顔本近付けて食べる人は下品な食べ方だと言われています。

なぜそういった判断になるのかというと動物を観察してもわかるとおり動物は茶碗に自分の口を近づけてガツガツと食べます。動物は人間と比べて食欲に支配されている割合が大きく、色食べ物を見ると我慢することが難しく1のはご存知の通りでです。

つまり動物と同じように食べ物に執着心が高く食べ物を見ると我慢ができずむさぼり食べるように食べる人に茶碗に顔を運ぶ人が多いと言うわけです。

 

こんなに詳しく説明しなくとも今ここでお話しした事は直感的に分かる人も多いかと思います。反対に茶碗を自分の口に運んで食べる人は食べ物に対する執着心が少なく余裕がある状態だということができます。

ですから上流階級の食べ物に困っていない人は自然とこういう動きを身に付けていったものと思われます。この例のように日常の動作のあらゆる場面でその人の心理的な状態や欲求の状態、余裕があるかどうかといったことがわかるのです。逆に言えば私たちは動作によって周りの人に自分の状態を伝えていると言うわけです。人に自分の状態を伝えていると言うわけです。

食べ物の食べ方の例で言うと、茶碗に自分の顔本近付けて食べる人がなぜ美しくないかと言うのはその人が食べ物に飢えているからそういった精神状態あるいは遺伝による性格のようなものが極めて食べ物に対して卑しいと言えるからです。

食べ物に対してガツガツしていて卑しい人を好きだという人はあまりいないですよね?

 

いついかなる場面でも美しい動作の方が良いかというと必ずしもそういうわけではありません。

例えば言い方は失礼ですが土木作業員だったりいわゆる底辺と言われる生活をしている人のにはこういった下品な食べ方をする人がたくさんいます。

そういった人の中で一緒に食事をするときに自分だけ上品な食べ方をしていたらどう思われるでしょう?

「こいつ気取ってんなぁ」とか「調子に乗ってんな」と思われる可能性が高いのではないでしょうか?これは上品さが悪く出る例です。

こういったコミュニティーでうまくやっていくには上品のレベルを合わせなければいけないのです。

食べ方だけでなく話し方や言葉遣いといったものもその人の状態を如実に表してますのでこれも

多くの場合コミュニティーのレベルに合わせなければうまくやっていくことは難しいといえます。

つまりどのような階級レベルの人であれ相手の動作については非常に敏感に観察して感じ取っていると言うことです。

 

こうして考えてみるとなぜ偉い人が胸を張っているのか?

なぜ恐縮する側が背中を丸めて小さくなるのか?

なぜ軍隊が非効率なキビキビとした動きをするのか?

なぜ動物でマウンティングをされる側がお腹を見せてね転がるのか?

などの疑問が全部一本の線でつながって見えてきます。

つまりあえて機能的でない動きをすることによって、私の方が負けですということをアピールしているわけです。

ですからたとえ動きだけであってもこのように非効率な動きを続けていると、それが癖になって本当に自分の能力が落ちていくということにつながってしまうのです。

もしあなたがそれも望んでいないのなら、そういった行動をなるべくしないように気をつけていくしかないです。

 

そしてそういった行動を取らせる状況にあなたが置かれているのなら、そういった場所を離れる日なんとかして改善していくほかないです。

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